1984-04-06 第101回国会 参議院 運輸委員会 第3号
その後いみじくも昭和四十二年十二月二十一日、この運輸委員会で私の大先輩である勤労出身の中村順造氏がこの問題を取り上げて追及をしておるわけであります。そのときに当時の運輸大臣である中曽根さんは、私の在任中早急に片づけると、こういう答弁をして小針氏を選定したわけでありますが、この小針氏の社長就任というのは、地方鉄道法第三十七条による大臣の職権で当時行ったのかどうか。
その後いみじくも昭和四十二年十二月二十一日、この運輸委員会で私の大先輩である勤労出身の中村順造氏がこの問題を取り上げて追及をしておるわけであります。そのときに当時の運輸大臣である中曽根さんは、私の在任中早急に片づけると、こういう答弁をして小針氏を選定したわけでありますが、この小針氏の社長就任というのは、地方鉄道法第三十七条による大臣の職権で当時行ったのかどうか。
その国会決議の案文をつくるときに参加をした人たちは、ごく一部を申し上げても松岡駒吉、北村徳太郎、三木武夫、鈴木義男、水谷長三郎、笹森順造、小坂善太郎、戸叶里子といったような、故人になった方もありますけれども、私どもの大変懐しい、しかもわれわれが尊敬する当時の衆議院、むろん参議院からも出ておりますが、両方から約六十名ばかり集まって、案文を練ったようであります。
復員庁というのができて、復員庁の総裁は笹森順造という人がなられたわけです。政府自身がしばしばそういうふうに名前を変えておるのです。そして法務府はいま法務省になっている。かつて自治庁というのがあった。
衆議院の中では松岡駒吉、北村徳太郎、山崎猛、三木武夫、鈴木義男、水谷長三郎、笹森順造、森戸辰男、小坂善太郎などといった、全く日本の政治をリードしてきた方々が参加をして、そこで行われた宣言を見ますとまことに崇高な理想を掲げ、あるいはきわめて次元の高い立場からこの世界連邦運動のためにわれわれは全力を挙げるんだ、それがわれわれ国会委員会の道義的な義務であるというような決議をいたしておるわけでございます。
当時の出席者の顔ぶれを見ると、松岡駒吉、北村徳太郎、山崎猛、三木武夫、鈴木義男、水谷長三郎、笹森順造、森戸辰男、小坂善太郎などという、全くの日本の政治をリードした大先輩が列席をしているわけであります。
雑貨局長 斎藤 英雄君 通商産業省鉱山 石炭局長 外山 弘君 参 考 人 (日ソ経済委員 会石油委員会委 員長) 今里 広記君 参 考 人 (日ソ経済委員 会石油委員会幹 事) 檜垣 順造君
石油に関する問題、特にチュメニプロジェクトについて調査するため、日ソ経済委員会石油委員会委員長今里広記君、同委員会幹事檜垣順造君及び同委員会作業委員石井浩君を本日参考人として御出席を願うことにいたしたいと存じますが、御異議ありませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
そこで、昭和二十六年当時、いわゆる只見水系の開発にあたって、当時の電源開発の総裁であった小坂順造氏、電力界の鬼といわれます松永安左衛門氏、これらが、私的の金であったか公的な金であったかは明らかにされておりませんけれども、百六十万円をくれて、中谷宇吉郎先生を主査とし、河川学では現在日本の第一人者であるA博士、砂防ではこれまた日本第一の学者でありかつ技術者たる参議院のA博士、N研究所の理事長K氏、運輸研究所
○参考人(檜垣順造君) 私の記憶では、その記者に会いましたのは六月だったと思います。そして八月に出た新聞というのを台湾から送られてきて見ましたが、時日がたつと、こうも話の内容が違うものかと思いました。それは台湾の、名前は忘れましたが、記者が参りまして、いま盛んに台湾政府でうるさくなっている、電発でおやりになると幾らぐらいかかるかという話がございました。
振興局長 原田 明君 運輸省港湾局参 事官 見坊 力男君 建設省河川局長 坂野 重信君 日本国有鉄道理 事 長浜 正雄君 参考人 電源開発株式会 社副総裁 大堀 弘君 電源開発株式会 社理事 檜垣 順造君
○参考人(檜垣順造君) 私はこの問題に関するばかりでなく、台湾電力と非常に関係がございまして、立霧の問題でたびたび台湾の人が来たりなんかしております。それから現在も立霧という渓谷に関しまして調査団を送ったりいたしまして、台湾の方がたびたび来たりなんかしております。そういう方といろいろ意見を交換して、その中にそういう方がおられたかも存じませんが、特別な個人的な知己としてはございません。
昭和四十三年六月三日(月曜日) 午前十時四十七分開会 ————————————— 委員の異動 五月二十三日 辞任 補欠選任 小柳 牧衛君 笹森 順造君 占部 秀男君 山本伊三郎君 五月二十四日 辞任 補欠選任 高橋文五郎君 源田 実君 原田 立君 鬼木
昭和四十三年五月二十三日(木曜日) 午前十時三十六分開会 ————————————— 委員の異動 五月二十三日 辞任 補欠選任 笹森 順造君 小柳 牧衛君 長谷川 仁君 大谷 贇雄君 佐藤 一郎君 内田 芳郎君 ————————————— 出席者は左のとおり。
長谷川仁君及び笹森順造君が委員を辞任され、その補欠として小柳牧衛君及び大谷贇雄君が選任されました。 —————————————
○中村順造君 これは押し問答になって時間がかかるばっかりだから……、計画しておるとあなたが断言をされるなら、何の計画をしておったかと聞くのはあたりまえじゃないですか。それに答えられなきゃこれはわからぬということです。
○中村順造君 「その他」というのは何ですか。動労の理由の中で、あなたの資料と私の資料と違うかもわからないが、一番、表になっておるのは、見出しは、「国鉄労組及び動力車労組の合理化反対闘争」……。
○中村順造君 だから、何を、たとえは柏君——全部はやりませんから、柏君は何月何日の何時に何を計画したのか、それを指摘してみなさい。
○大橋和孝君 それでは、もう一つお伺いしたいのは、沖繩在住の被爆者への適用でございますが、これにつきましても、中村順造議員からの質問に対しまして、厚生大臣のほうから、現行医療制度と同様の措置を講ずるように配慮をして本土並みにしていくんだというようなお答えを聞いたわけでありますけれども、沖繩の特殊な事情を考えてみますと、本土並みだといいましても、いま、沖繩におきましては、専門医が少なくてこちらから派遣
委員長 三木與吉郎君 理 事 木内 四郎君 増原 恵吉君 山本 杉君 森 元治郎君 委員 鹿島守之助君 佐藤 一郎君 笹森 順造君
上原 正吉君 石原幹市郎君 近藤 鶴代君 岡本 悟君 高橋文五郎君 山崎 斉君 横井 太郎君 植木 光教君 和田 鶴一君 稲浦 鹿藏君 石井 桂君 白井 勇君 伊藤 五郎君 林田 正治君 井野 碩哉君 新谷寅三郎君 植竹 春彦君 笹森 順造君
○中村順造君 私は、ただいま趣旨説明のありました原子爆弾被爆者に対する特別措置に関する法律案に対しまして質問をいたすものでありますが、私の質問は、日本社会党を代表するものであると同時に、いまから二十三年前、世界人類史上初めての原子爆弾の強烈な熱線、爆風、放射能によって瞬時に生命を失った幾十万の同胞と、みずからの身体を放射能障害におかされつつ、戦争を憎み、アメリカの非人道をのろい、日本政府の非情と無策
井野 碩哉君 新谷寅三郎君 寺尾 豊君 小酒井義男脅 松永 忠二君 大倉 精一丑 大和 与一君 岩間 正男君 須藤 五郎君 春日 正一君 森 勝治君 鈴木 力者 川村 清一君 大橋 和孝君 田中寿美子君 瀬谷 英行君 野上 元君 中村 順造君
昭和四十三年四月四日(木曜日) 午前十一時二十八分開会 ————————————— 委員の異動 三月二十九日 辞任 補欠選任 内藤誉三郎君 笹森 順造君 ————————————— 出席者は左のとおり。
昭和四十三年四月四日(木曜日) 午前十時二十五分開会 ————————————— 委員の異動 三月二十七日 辞任 補欠選任 青田源太郎君 吉江 勝保君 山本 杉君 大谷藤之助君 三月二十八日 辞任 補欠選任 近藤 鶴代君 古池 信三君 内藤誉三郎君 笹森 順造君
——— 委員の異動 三月十四日 辞任 補欠選任 近藤英一郎君 杉原 荒太君 三月二十六日 辞任 補欠選任 山本 杉君 大谷藤之助君 三月二十七日 辞任 補欠選任 大谷藤之助君 山本 杉君 三月二十八日 辞任 補欠選任 笹森 順造君
委員長 三木與吉郎君 理 事 木内 四郎君 増原 恵吉君 山本 杉君 森 元治郎君 委 員 近藤英一郎君 佐藤 一郎君 笹森 順造君
昭和四十三年三月六日(水曜日) 午前十時三十八分開会 ――――――――――――― 委員の異動 三月一日 辞任 補欠選任 秋山 長造君 中村 順造君 大橋 和孝君 柳岡 秋夫君 ――――――――――――― 出席者は左のとおり。
去る三月一日、秋山長造君及び大橋和孝君が委員を辞任され、その補欠として中村順造君及び柳岡秋夫君が選任されました。 ―――――――――――――